* あたしのアイビー *

勤務先の病院のアイビーが、育ちすぎて溢れそうだった
捨てるなら頂戴、と株分けしてもらったところ
あたしはその観葉植物に悩まされる事となってしまった


 



あたしのアイビー 1



また、あの夢だ

ここんとこ毎日見るよくわかんない夢
こないだ病院で鉢分けしてもらった 鮮やかな緑のアイビー
それから出てきたらしい、えらく美形の金髪のにーちゃん
自称、『鉢植えの精霊』らしい

あの日、あたしはばたばたと忙しく働いて 仕事を終わらせたのは終電の後
タクシーでしぶしぶ帰って、服も着替えずにベットに倒れこんだ
ナースが倒れたらやっぱりナースに助けられるんだろーか
そのナースが倒れたら…ああ、もう何考えてるんだろ
お化粧落さなきゃとか、お風呂入りたいとか、やりたい事は一杯あったのに
指先まで重くて、どーしても動けなかった

すると、 「大変だなあ毎日」と

ぽそっと、暢気そうな低い声がした
ぼんやりと開いたあたしの瞳に
髪を月明かりで金色に輝かしたソレが飛び込んできた


そして今日も彼はあたしの髪を梳く

「今日肥料ありがとな、うまかったよ ごっそさん」

眠くてにゅ、っとしか声は出せないのに
何が言いたいか彼には分かるそうで

「病院のオレにもくれたろ?ちゃんと分かるんだぞ?」
「にゅ…」

優しく優しく髪を梳く手
ちょっぴし恥ずかしーが、払いのける余力などない
今日はあのナース長に言ってやったわ!とにゅい〜っと言うと
彼はやりすぎるなよ?と笑う

「はーやく元気になーあれ」

彼の声と、染み込むような暖かい指先を感じながら
あたしは いつもどおりふわふわ意識を落した


「はーやく元気になーあれっ!よしっ!終わりっ!」
「…僕ちゃんと点滴も我慢するよ」
「いー子ね、きっと治るわよ そんなのに負けたらダメよ?」

可愛い返事をして走っていく男の子に手を振る
さ、ちょっと時間あるし…水でもあげてこよっかな

「は〜やく元気になあれ」

あたしに返事をするように、ぴょこんっと葉を揺らす可愛いアイビー
水を弾く葉に、そっとあたしは手を触れた



あたしのアイビー 2



「顔色悪いぞ?あの日か?」

失礼な事を言う彼に、んむっと抗議
寝返りをうつと 彼が楽しそうにくるくると手に巻いていたあたしの髪がするりと逃げた
あ〜っ!と惜しそうな声を出しながら、そいつはあたしの髪を追いかけた
ふわふわで触り心地が良いそうだ
変態おやぢなら即通報ものなのだが、美形だからなのかそういう気にならない
ただしイケメンに限る!という奴なのだろーか
はふ、とあくびが漏れる

「寝とけよ、明日に響くぜ? ほら」
「んあー」

くしゃっとあたしの髪をかき混ぜて
それからまた静かに梳く
とーちゃんみたいってむにゅっと言ったら
こんなでっかい子供はいないぞ?と笑われた
子供なんかじゃないわよ、何よ子供みたいなのはそっちじゃない?
いーわよ、そーいう事言うならもう霧吹きしてあげないんだから
葉っぱ病気になっちゃうのよ?ふんっ

「いい加減寝ろ、病気になってもいいことないぞ?」
「ん」

はーやくげんきになぁれ、と彼が歌うと
電池が切れたようにあたしの意識は暖かい暗闇へと向かった


しゅこしゅこと霧吹きがアイビーに吹かれる

「…冗談だからね?」

葉を撫でて、彼がしていたように話しかける
同僚のアメリアには「つ、ついにリナさんが壊れたぁ〜!」とか言われた
あたしだって話しかけたい時だってある
ただ眠くて眠くて、休みの日があっても買い物や掃除と用事であっという間なのだ
1日が24時間なのは間違ってるのではなかろうか、72時間ぐらいあっても…
って、そーなったら50時間ぐらい働く事になるんだろーか
それはいやすぎる
ちなみのアメリアはあんましうるさいのでカルテの角で3度ほど撃墜しておいた

1ヶ月以上見続けているこの奇妙な夢
いくらなんでも毎日はおかしい
誰に話しても「不思議ね」の一言で終わるだろう
あれがあたしの理想の男ってやつなんだろーか?
そりゃいい男だけど、ちょっと頭のねじが抜けてるとゆーか
でりかしーはないわ、あたしのやる事にいちいち注意するわ、果ては髪の毛フェチのやや変態
そもそも何故にアイビーなのか
あたしは人間より植物に恋愛感情を持つ生き物だったのだろうか

はて……じゃああれって何?
アイビーが、ふるっと水滴を落して あたしを笑っているように見えた

「枯れるんじゃないわよ?」

「おうっ」と、彼の声が聞えた気がした



あたしのアイビー 3



「ありがとうございました」
「いえ、あたしもあの子には何度も助けられました」
「いつも楽しそうに貴方の事を話していましたわ」

過去形の話が進む
あの子はちゃんと生きていた
食べられなくても、走れなくてもだ
大人を気遣って無理矢理笑っていたとても優しい子
必死に生きていたのに
救えないと分かっていても、救いたかった
例え望みが無いとしても


「そうへこむなよ」
「…」

返事がないあたしに、彼は少し戸惑っているようで
いつもみたいに怒ってもらおうと髪をつんつんと引っ張っている
優しい人

「悲しんでくれる人が居るってのはいいもんだぞ?」

分かってる、分かってるけど悔しいのよ

「オレが枯れたら、お前さんが泣いてくれるよな?」
「…しにゃひ」
「んー?」
「やら」

植物なんかのあんたに泣いたってしょーがないじゃない
そんなんじゃあたし、ピーマン食べる度にピーマンさんごめんなさい!って泣くの?
ありえないわ、だってあんたアイビーでしょ?
夜にしか会いに来てくれない奴なんかの為に流す涙なんか一滴たりともないわ

そーか、残念だなあと彼はくつくつと笑って
あたしの額にキスを落した

「ごめんな?」


翌朝、魔法でもかかってしまったかのように
あたしの小さなアイビーは枯れてしまっていた



あたしのアイビー 4



思い出すのはあの大きな手

何よ、ちょっと言ったぐらいでしょげちゃってさ
枯れる事ないじゃない?
そうあたしが強く居られたのは病院に着くまでだった

慌てて駆け寄ってきたアメリアに呼び止められた
何をそんなに焦っているのかと思えば、ああ今日までに提出する申請書かと思い当たる
無駄に細かくてあたしも苦労したんだっけ
うーうー唸るアメリアを見かねて、見本にしてちょうだい ついでに出しといて?と頼んだのだ
まさか…家に忘れたとか言うんじゃ…?

「リナさんっ!あのっ」
「おはよー、ねえこないだの申請書出しといてくれた?」
「驚かないで…くださいよ?その」
「今日の昼までよ?さっさとやっちゃいなさいよー?」

「あのっ、リナさんの大好きな植物 枯れちゃったんです」

冗談じゃないわ
そんなの、許さない

廊下を走りぬけた先にあったのは、過去形のアイビーだった

そんなに怒ることないじゃない
嘘だって分かってるくせに
仕方ないなぁって言いながら、戻ってくると思っていたのに
今日だってちゃんとあんたを連れて帰るつもりだったのよ

あたしの意識はここで途絶えた

それからあたしは高熱を出し、4日間も寝込んでしまった
彼は一度も来なかった



あたしのアイビー 5



あんたがいるから、前を向いて歩けたのに
やりたかった事が全部出来そうな気がしたのよ
あれこれ迷うあたしに、「それでも、やるんだろ?」って後押ししてくれた
力強い腕


『あっ、お前さん信じてないな?』

警察に通報しようかぼんやりとした頭で考えていたあたしに その不審者は慌てた

『オレは精霊だって言ってるだろ? ほら見てみろよ』
『ふぇー?』

見たってどうしろって言うのよ
成人男性が眠ろうとしてる女性の部屋に忍び込んだら死あるのみだわ
と、口にしなかったはずの言葉に
『いや、違うぞ?オレは植物だぞ?』と、妙な言い訳をした

『魔法?覚えてないなぁ…下っ端だからな』
『つ、使えない事もないぞっ?なんだその目はっ?』

なんだ、悪い奴でもなさそーね
眠気も手伝ってか妙な納得をしだした、これも魔法なんだろうか
どうしよう、寝ていいんだろーかこれは、そう思ってる間にも目蓋が降りてきて

『眠いだろ?おまじないかけてやるよ』

手がそっとあたしの頭に触れた
あったかい…
最近寒かったのよねぇ

『はーやく、元気になぁれ』


彼の夢を見なくなって、1週間
体調も良くなり、職場に戻る事になった

テーブルの上に飾られている小さなアイビーに、あたしは霧吹きをかけた
枯れてるのは分かってる
捨てる事なんて出来なかったし、どこかにしまいこむ事も出来なかった
これとゆーのも、あのあほ精霊が毎晩あたしに妙な睡眠学習をしたせいではなかろーか

『明日もがんばれよ』とかはいい、『可愛いのに』って何?
何故「のに」なのかいつか問い詰めてやろーかと思ってたんだけどね
残念だけど、ごめんの一言で許すほど、あたしは心が広くないのよ
早く帰ってこないと、アレ捨てちゃうんだからね
だからはやく、はやく

「はやく、げんきに、ならなくちゃね」

『お前さんは元気な方が、オレは好きだから』

あんたの、その低い声、好きだったかもしれないわ
今はもう確かめる事は出来ないけど


「リナさん、もう体調大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ、って言いたいけどあんまり寝れてないのよねー」
「そんなにショックだったんですね、あの植物の事小まめにお世話してましたしね」

ううっと、ハンカチで涙を拭いながら
アメリアは感動だか喜びだか分からない涙を流している

「それでですね、今日はリナさんにいいニュースがあるんですよ」
「ふぁ…ん〜、何?」
「もう、しっかり聞いて下さいよー」

「あの植物、寄付されたものだったらしいんですけど
 昨日ようやく寄付してくれた患者さんが誰か分かったんですよ
 株分けの親分さんは元気らしいんです!分けてもらえるよう頼んでみませんか?」
「…え?」

「あいつに会えるの?」
「…患者さんをご存知なんですか?ハッ……!まさかそんな仲だったんですかお二人は」
「違うわよっ!誰がそんな植物寄付する よぼよぼの老人と…」
「違いますよ?ガウリイさんはとても綺麗な男性ですよ?金髪の」

あたしの中でかちりと、歯車が合った音がした



あたしのアイビー 6



『ええ、そうですよ?金髪で長い髪で』

バタバタと足音が廊下に響く
引っつかんでいたバックがそこらの誰かにべちんと当たった気がするが気のせいだ
あのあほっ、まさかとは思うけど

『1週間前に昏睡状態から戻ったそうなんです、何でも事故だとか』

ああああっぴったしっ、じゃあ半年以上昏睡しとったんか!
人の心配してる場合じゃないじゃないっ!

『おばあさんのお見舞いでよく病院に来てた方なんですけど
 リナさんったらそんな前からお付き合いなさってたんですか?』

会った事なんて一度もないわよっ、あたしが会ってたのは…

『よく抜け出そうとするんで困ってるんですよ』

真夜中にうろうろ徘徊して、乙女の寝込みを覗きに来る
自称精霊の…

バンッ!

乱暴にドアを開け放った先に居るのは

「ガウリイ=ガブリエフっ!全部説明してもらいましょーか!?」
「おーおはよう」

ふぁ、っとあくびをして 彼は白いベットの上で体を伸ばしながら
いつものように のんびりとした口調で答えた
あの日消えた、あたしのアイビー

「やっと出勤出来たのか、だから言っただろ?早く寝ろって」
「どこが精霊よっ 植物人間じゃないっ!」
「いやあ、すまんなあ オレ、人間だった」

あたしのカバンはひゅんっと風を斬って、ぼけた彼の顔にクリーンヒットした


『おかしな話してましたよ、ガウリイさん
 ずっと夢を見ていたそうなんですよ?
 可愛い女の子が居て、その子とずっと一緒だったって』


「どこから話せばいいんだ?」とガウリイは頭を涙目でさすっている
ベットから起き上がって、こきこきと首を鳴らしながら
そんなに強く投げてない…とは思うんだけど大げさな
その手をぼーっと見ていたせいだろう
彼は何かに気がついたらしく、ちょいちょいとあたしを呼び寄せた
小声でしか話せない内容なのだろうか
ぽてぽてと近寄ったあたしの頭に、ぽふっとあの魔法の手が置かれた

「リナは可愛いなあ」

もしかして、もしかしなくても、ひょっとして、とゆーか絶対…
くいっと引っ張られて、ベットにぱふっとあたしは倒れこむ
撫でやすくなった位置の頭をやたら嬉しそうに撫ではじめた

「…昼も撫でたかったのね?」
「おう」

「…それまで忘れてたのね?人間だって」
「よく分かるなあ」

「……あたしを試す為に枯れたんじゃ」
「それはないぞ?」
「じゃああの「ごめん」って」
「怒ってたろ?」

そりゃまー、怒ってたかもしんない…
ゆっくりとあたしの頭を行き来する大きな手
額に指が触れて、髪を梳かしながら あたしの大好きな低い声で囁く

「寝不足じゃないのか?」
「にゅ…」

いつかの往来
待ち続けた時間

うとうととしながら、あたしは彼の手をようやく掴んだ

「ん?」
「いつも…ありがとね」

ずっと触りたかった暖かな手を静かに撫でた



オレのアイビー



彼女に気がついたのは、ばーちゃんのお見舞いの帰りだった

誰かの泣き声がした
怪我でもしてるのかとあたりを探すと
リネン室の端っこで、背中を向けた小さな背中が声を押し殺していた
どこか痛いのかと声をかけようとしたが、出来なかった
小さな体を震わせて、その看護婦は何かに耐えているのだと分かったから

「…生きたかったよね」

見てはいけなかったのだと察し、そっとその場をオレは離れた
彼女はきっと立ち上がれるだろう
肩と一緒に震える髪を思い出して 一度だけ廊下を振り返った

次に気がついたのは、食堂のメニューのさもしさに売店を訪れた時だった

えらく元気な看護婦が大量のパンを買い占めて行った
おかげでめぼしいものが無くて、しぶしぶとみかんを買った
ばーちゃんと食べようと、食堂を通りかかるとさっきの看護婦がだらしなく机にうつぶせになっていた
彼女はもう食べ終わったらしく、つんつんと横の植物を突っつきながら

「水と肥料なんかでよく生きてるわよねー」

そこでやっと、あの泣いていた看護婦と元気な看護婦が同一人物だと分かった
やはり声をかけなくて正解だったのだろう
彼女が泣くのはあまり想像がつかないじゃないか?

最後に彼女に気がついたのは、ばーちゃんを見送ってしまった日の事

ただ唯一の身内だった
これからを考えるのが酷く億劫で、世界が歪んだように感じられた
かなりの時間を呆けるのに使ったらしい
そろそろ一度家に帰らなければと思い、霊安室のドアノブをひねると
かさりとビニール袋が揺れる音がした
近くに居た看護婦に「忘れ物があった」と渡そうとしたが

「ああ、リナさんですよきっと。今後の手続きがあったのでしばらく出てくるの待ってたんですよ?」
「リナ?」
「ナースステーションで一番強くて一番かっこいい、暴れん坊の食いしん坊さんです」

サンドイッチはあっという間にオレの腹に収まった
少なかったはずなのに、何故かこれ以上うまいものはなかったと思うぐらい
オレは満たされていた


次に目を開けると、オレは植物だった

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はて?とあたしは首をかしげた


ガウリイの膝で眠る事数時間
仕事があるんだから起こせばいいものを…

「リナさんとガウリイさんは実は恋人だったんですっ!!」、と

だからそっとしておきましょうとアメリアがナース長に泣きついたらしい
あたしが倒れたその日の朝に彼が回復したとかで
奇跡のらぶすとおりいとしてナースステーションを騒がす事となってしまった
ああっ恥ずかしいっ 明日からどうやって過ごそう…

ガウリイもガウリイだわ、「そーいうことになるな?」って否定しないんだから
でっ…でもってよ、人前でききき…き

やめよう、考えるのはやめるべきだ

ともかく今考えるべき事は
何故枯れたアイビーが活き活きと葉をぴんとさせて テーブルに鎮座しているのかである
鍵はちゃんとかけた、窓も閉めた、あたしが幻を見ていたという可能性は…ある

でもってあたしのベットになんか寝てる
やたらでっかっくて、金髪で、どっかでみたよーな塊
これも幻だろーか

「ふぁー…あ、リナ おかえり」

幻っぽいものが目を覚ましたようだ
ごろんっと寝返りをしてあたしの方をぼーっと見ながら
二の腕をだらりと床に重力にまかせて揺らている

「ガウリイっ、病院から抜け出して来たの?!」
「退院してきた」

合間に病室を覗こうとしたら、アメリアに引っ張られて行けなかったんだけど
なるほどね…何から何まで…あの馬鹿正義娘えええっ

「鍵っ、鍵は?」
「管理人さんに挨拶したら開けてくれた」

あの馬鹿管理人っ、管理しろっ!

「あ、アイビーは?」
「オレんちから持ってきた 好きなんだろ?アイビー」

そっちじゃなくて、と言いそうになった言葉を飲み込んでベットに近寄る

まだ眠そうな彼の額と髪に、あたしの手が緩やかに撫でると
気持ち良さそうに目を閉じる
ああ これ楽しーかも…
ガウリイがはまるのも分かるわ

「…泣いたか?」

彼の声は少し掠れていた

「残念ね、泣いてないわ」

意地っ張りめ、と言われながら引き寄せられ
泣いていいんだぞ?なんて言うもんだから
あたしは仕方なく、ちょっとだけ泣いてあげる事にした


大好きなあたしのアイビーの為だけに




花言葉:死んでも離れない。永遠の愛・友情・不滅


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